熱気蒸し返す場内と、さざめく会話、そして音楽。
どうして暑くてどうしようもない夏が、こんなに忘れ難いものになるのか不思議です。
店主の偏見ベースはいつもの事と笑い飛ばして、先日のレビューをご一読ください。
◇島田温泉
かくれ夏男。かくれナツオ(言いたかっただけ…)。
スラスラと涼しい顔で、はじける炭酸の物理的な運動のみに関心を寄せたような、いとも軽やかな歌詞を歌いあげてゆく。
風景や心情に加工を加えず、プリントを反転写しただけの、前後から隔絶された瞬間の焼きうつし。
そこに圧力をかけようとする意図が介在すれば、全く違うものになるだろうと思う。
島田くんの楽曲は、その意味で色んなことを免れているのだ。
◇コハク
ミオリ嬢の居る地点と、彼女が歌いあげる景色との狭間にある距離を愛おしくおもう。
なぜなら、視線の長くなる分だけ、私たち聴き手はその物語に対してより豊かな傾聴のあずかりを受けることができるから。彼女が遠くを見つめるほどに、その歌はますます甘く切なく響き渡るのでした。
◇miyakichi(猿股茸美都子)×久保田健司(震える舌)×阪本愛子(震える舌)
家の中から窓の外の通りへ向かって歌われるような。
見知らぬ記憶へと釘付けになるような錯覚。
その演奏は、独特の印象でありました。
戸惑いに答えを与えず、そのまま戸惑いとしてあり続けるように。
後悔から悔悛のチャンスを取り去って、そのまま後悔として保存すること。
感情の質が変化する様子より、いわばその持続を訥々と歌うある種の閉じた世界が、そこにはあったと思うのです。あれらは、採集された感情の陳列だったのでしょうか。